毎年、春が近くなると私の感受性は爆発的な高まりを見せ、花の気配を感じるだけで涙と鼻水が止まらなくなってしまう。

 

一体自分はなににそんな感動しているのか。

 

たしかに、そこに花があるという事実、美しさ、麗しさ、そしてそれを生んだ森羅万象に胸を震わせざるを得ないのはわかる。しかし、その感動が「感動」の域を超えたが故に、無意識下での感動となってしまい、いわば、「花粉症」という症状としてでてしまっている、ということが唯一の難点だ。

 

私は自分が「花粉症」だということを認めたくない。なぜなら、名前がダサいからだ。なんだ、花粉症って。ダサい三文字熟語選手権にでてみろ。審査員に「せっかくの『花』という言葉に、粉と症がつくことにより、逆にヘンになっています」といわれるに違いない。もっと、「突発性植物感動癖」とか、「鼻水期?君と好きな人が百年続きますように?」とか色々あったはずだ。それなのに、「花粉症」って。

 

それだけではない。花粉症の苦悩は自分の中にだけでなく、社会にもある。

 

大学の授業中、恐らくどこかの花粉症に親を殺された誰かによる意図的な換気により、くしゃみが止まらなくなった。

 

「くしゃみが止まらない」

 

常人のそれではない。もう、母国語がくしゃみなのではないか。くしゃみによるモールス信号で助けを求めてるのではないか。そのレベルで止まらないのだ。

 

そうするとどうなるか。

 

笑われるのだ。

 

こっちは、苦しんでいるのに。

 

あがき、もがき、菌と戦っているのに。花粉症の粉は紛争の粉といっても過言ではないくらいには死に物狂いでくしゃみをし続けているのに。

 

まるで、「連続したくしゃみという日常に見られない光景を意図的につくり、笑かしにきてるやつ」みたいじゃないか。

 

ゆるせん。

 

ゆるせんぞ、花粉症を笑うやつ。

 

 

 

ということでこれからの季節、花粉症の人を見かけても決して笑わず、ただ無言で応援してあげてください。

 

よろしくお願いします。